奥 麻里奈ドットコム

日々の散文と公式HP

最近、日常の中でその存在を思い出しては思いを馳せてしまう人物が3人いる。

東村アキコの漫画「かくかくしかじか」に登場する、主人公にとっての絵の師である日高先生(実在の人物の実名は日岡先生、らしい)。「男はつらいよ」の寅さん役の渥美清。大阪都構想が住民投票で潰えた橋下さん。

日高先生に至っては、思い出すだけでパブロフの犬のように涙ぐんでしまう。

「『かくかくしかじか』ほんといい作品だな〜」とか思うより先に、日高先生の漫画絵を思い出して生理反応が起きてしまう感じ。

「描く」その1点に集約される生き方。魂の赴くままに、かつ、人としての情愛を持って生きた人。

とてもいい生き方をした人だと思う。憧れる。

渥美清については、たまたまTVで「男はつらいよ」を観て、ついこの間柴又に行ったのがきっかけ。

1人の人間としての生き方を思うと、想像を絶するほどの過酷な人生だっただろうなぁと思ってしまう。

人生を通して「寅さん」であり続けようとした人。他者のニーズを最優先にしながら生きた人。

そりゃ、生身の人間は寅さんじゃないんだから、実生活に歪みが出るよ。

その苦しみを思うと、辛い。人間の生活を奪われる生き方を選んだ人。

橋下さんは、「僕は国民の奴隷じゃない。これから自分の人生を歩みたい」と言って政治の世界から身を引くことを公言した。

独善的なキャラクターに見られやすい人だけど、公僕でいた間は己を殺して、「こうすれば世の中は良くなる」と信じるものを実現するお役目に徹していたんだと思う(さすが名前が徹)。

「僕は本来政治家ではなくて実務家なんだと思う」と言ってたけど、そうなんだろうなと思う。もっと細かく言えば、「実業家的な志向性のある、法律家としての自負を持った実務家」なんだろうな、私が思うに。

だから、ここできっぱり「政治家をやめて、自分の人生を取り戻す」という選択をした橋下さんの生き方には賛同する。

見事なくらい明晰な選択だと思う。

「辞めるなんて、この人は大阪のことをほんとに考えてないってことじゃないか」っていう声を見たけど、そうじゃないやろ。

橋下さんはまあ言ったら大阪都構想のために政治の世界にいたわけで、大阪の財政を正常化するための存在だという自己認識で政治家をやっていたわけで、「僕が提示する改革案を市民が求めてないなら、その声に潔く従いますよ、市民のために、そしたら僕という存在は要らないわけだから役から降りますよ、皆さんが求める政治を実現するために」ということだろうから。これは俯瞰の目線で「大阪のことを考えて取った、政治家としての行動」以外の何者でもない。と私は思う。

橋下さんが橋下さん自身であることを取り戻せる時間が訪れてほんと良かったなぁと心底思う。

そりゃ、自分の家族が大事だろう。のびのび弁護士やって生活する日常が大事だろう。

自分でも「もう顔もしわしわ。疲れた男になってしまった」って言ってたけど、他者のために生きることに徹するとああなってしまうんだろうなあと思う。橋下さんくらいの器がある人でもやっぱり人間だからしわがれてしまうんだろうなあ。

 

そういうわけで、やっぱり、自分の人生の手綱を握るのは自分自身であるべきで、他者に明け渡してしまう状況に陥らされるのは残酷すぎると思う。3人の男性たちが頭に浮かびながら噛みしめるように思う、このごろ。