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雑感

人間みんな赤ちゃん時代からほぼ変わっていない

私は今人生で2番目くらいに暇がある。1番目は自分で何もできないがゆえに全部親に世話してもらっていた赤ちゃん時代で、その次くらいに予定のない日々を送っている。幼児のときでも保育園に行っていたし、それ以降は学校や会社に通っていたし、会社を辞めてからも仕事が日常にあった。家事や放置している日常のあれこれを完璧にすればこれまでと同じくらいスケジュールが詰まるはずだが、全然完璧にやっていないのでだいぶ時間がありあまっている。

おそらくその余裕が私に気付きを与えた。私の中で眠っているシンプルな欲求が顔を出してきたのだ。それは、「こっちを見て!」「私にかまって!」という欲求である。「Pay attention to me!」の境地である。

ふと、スマホやTVを見ている夫に「かまってくれ〜」という心境になる。名前を呼んでこちらに目を向けさせ、「かまってかまって」とジェスチャーで訴える。かまってもらうと満足。背中をさすってもらったりするととても落ち着く。欲求発生から満足獲得までの一連の行動と心の動きが赤ん坊と何ら変わりないのである。

赤ちゃんは「お尻が気持ち悪い〜」とか「お腹減った〜」とか「寒い〜」とか「寝てたのに起こされた〜」とか何か不快なことがあって泣いたりぐずったりするが、何で泣いてるのが分からない原因不明のぐずりもある。それはときどき「こっちを見てくれ〜」「オレにかまってくれ〜」「抱いてくれ〜」「そして背中ポンポンしてくれ〜」というだけの要求だったりする。実際そういう場面を見たことがある。1歳に満たない子どもを持つ友達の家に遊びに行ったとき、2人で話に高じているとその子がぐずり出す。「オレを放っておくな」と不満を申し立てているのである。「いつでもオレの方に注目していてくれよ」というのが赤ちゃんの基本姿勢なのだ。

でもそれって、赤ちゃん特有のものではなくて、実はすでに大人になっている我々も根源的に持っている欲求なのだ。みんな、自分だけを見ていて欲しいのだ。だから家庭の中で仕事や外の人間関係に気を取られて上の空でいる夫に不満を持つし、飲み会の席で別の人ばかりに視線を向けて自分に興味を示さない他人に腹を立てる。でも目の前にやらないといけないことがあったり、一筋縄ではいかない煩雑な人間関係があったりして、そんな自分の欲求に目を向けてばかりはいられない。そうしている間に、「かまって欲しい」欲求が心の底の方に隠蔽され、人から見逃され続けてナデナデされることのない日々が当たり前になってしまう。

大人でも背中をさすられると心地良い。ポンポンされると安心する。頭をなでられると嬉しい。このことに気付いて私は驚いたと同時に「人間、赤ちゃんのときから大して変わらないんだな」と呆れるような気持ちになった。いつまで経っても、老人になっても、この性質は変わることがないだろう。その部分については人間である限り成長は見込めないのだ。

だから、「かまってくれ」と訴えたら無条件に向けてくれる目とさすってくれる手を大人になってもずっと確保しておけたら、満ち足りた人生を送ることができるに違いない。大人になった私たちは、親の代わりとなるその目と手を見つける必要を本能的に感じているのだ。

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