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妊娠

妊娠体験記録5 赤ちゃんの心が私に憑依する

前に、暇ができたことによって人間のプリミティブな欲求に気付いたという話を書いた。赤ちゃんの頃から人間ほとんど変わってないという話だ。気付いたのは「あり余るほどの時間ができたから」という風に根拠づけを試みてるが、実際それが原因なのかは分からない。もう1つ考えられるのは、お腹の中にいる赤ちゃんが私に乗り移ってるんじゃないかという可能性だ。

妊娠してから赤ちゃんや子どもの気持ちをだいぶ理解できるようになった。基本、「こっちを見てくれ」「かまってくれ」って思ってるし、背中をさすってもらったりポンポンされたりすると安心するし、甘えられるだけ甘えたいし、可愛がられたい。赤ちゃんは自分で動けないけど動きたいから揺すられてると嬉しい。子どもは体が軽いから終始動き回ってる。これは人間に限らず、犬猫など動物もみんな一緒だと思う。こういう気分は、胎児と一体化しているがゆえに私自身にももたらされているような気がする。

こういう欲求を受け入れてくれる人がそばにいるせいか、赤ちゃん返りをしているような気分になることが毎日の生活の中の瞬間にある。手をつないで歩くとき、体が重いためゆっくりとしか歩けないというのもあって、親に手を引かれる幼子のような気持ちになっている。体を撫でられるときも、恋人同士というより親子関係の「よしよし」のような感覚になりとても心地良い。矢野顕子の曲で「お母さんもたまにはいいこいいこって褒められたいの」っていうような歌詞があったけど、あの曲、正直聴いたときは「おばさんが甘えたいとか、何か気持ち悪いな〜」って思っていた。おばさんの少女心とか、見せないで欲しい。けど、今は分かる。おばさんも、おじさんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、かっこつけてる若者もみんな、幼かったときと同じようにいいこいいこされたがっている、本当のところ。

それを理解するようになってから、すでにいい年の大きい体をしている夫も、ただの幼子だった頃から何一つ変わっていないんだなと思えるようになった。夫の心の内にだって、私と同じように甘えたくて可愛がられたい欲求が仕舞われているのだ。だから、私は夫にも「よしよし」を進んでする。人に対してそういう気持ちを快く認めてあげたくなったのもこれまで生きてきて初めてのことだ。私は誰の「よしよし」願望も受け付けて来なかったし、自分自身のそれを無きものにしながら過ごしてきた。そんなものは今更自分の中に埋もれているなんて思いもしなかった。だからこそ、人がそういう片鱗をちらっとでも見せようものなら素早く拒絶の意思を示してきた。「私は甘えないんだから、あなたにも甘えさせない」と。

そんなところへ、今私の体と同化しているお腹の子の心が私の心に憑依して、私の埋もれていた欲求をいとも簡単に拓かせた。そして他人の中にある欲求の存在も見抜かせた。胎児というものはそんな働きかけを母体にしているのではないだろうか。もしくは、胎児の存在をつねに感じている私の方が胎児に憑依しているのだろうか。

お腹の子の気持ちを通して自分の気持ちを知り、自分の気持ちの表現をする。見て欲しいときに「見て」と言い、かまって欲しいときに「かまって」と言い、甘えたいそぶりを見せる。ただし、これは夫に対してだけ拓かれるチャンネルであり、それ以外の人には決して見せることはない。もちろん、恥ずかしいからだ。そんな風に拓ける相手が1人いれば人生充分である。

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