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妊娠

妊娠体験記録12 私は「お母さん」ではあるけど「ママ」ではない(未来の)

自分のことを「ママ」と呼ぶこと、呼ばせることに抵抗がある。今の世の中的にはむしろメジャーな呼び名だと思うし、人がそう呼んだり呼ばせたりしていることに違和感はないのだが、自分事ではない、という感じなのだ。

じゃあ何がしっくりくるかというと、「お母さん」。これも普通の話だが。「お母さん」はいいけど、「ママ」は違う。何故そういう感覚なのかというと、私が母のことを「ママ」と呼んだことがないからだ。ちなみに関西人だけど「おかん」と呼んだこともない。うちの兄たちは言っているので、これは自己イメージの問題だと思う。「おかん」という言葉を使うほど粗野な、ストリートな人間ではないという。「ババア」とかいうような表現で罵ったこともない。

母は自分のことを一度も「ママ」と呼ばなかったと思う。推測でしかないが、母は「ママ」という言葉の甘ったるさに恥じらいがあったのではないだろうか。なぜそう思うのかと言うと、私がそう感じるからだ。私は自分のことを「ママ」と呼ぶ甘ったるい響きに恥ずかしさがある。「お母さん」と呼ぶより「ママ」と呼んだ方が子どもの甘え態度が大きい感じ。「ママ」と言うときの、あからさまに甘えまくり・甘えさせまくりな態度を許容する空気感を気恥ずかしく感じる。恋人同士の「ダーリン」「ハニー」な空気にあてられたときの、ちょっとぞぞっとする感じと同類。

それと、「ママ」の方が今っぽい。現代的。欧米語だから。「お母さん」の方が古風。日本語だから。そういう、簡単に今っぽさを身に纏うことに対しても気恥ずかしさがある。だって、どんなに欧米っぽさを装ったって結局日本人なのに。そういう感覚が私の中にあるし、母にもあったのではないかと思う。どんなにお洒落な服を着てても日本人であることには自覚的でありたい。そのために言葉を選んでいる。

そういう風に、一般的に使われている言葉だけど個人的に使うには抵抗がある言葉が私にはいろいろとある。「妊婦」というのもそうだ。分かりやすくするために便宜的に使うときもあるが、必要に迫られなければ極力使わない。「婦」があまりにジェンダー的でありすぎるから。あまりに「女性特有のものよね〜」というのを醸し出しすぎているように感じるから。私の感覚としては、妊娠自体は女の人特有の現象であることは認めているけど、区分としては「妊娠体」と「非妊娠体」というのがまず先に来ることであって、そこに「女なのよ!ずん!」という感じで腰に手を当てながらアピールする感じが自動的に乗っかって来ることに抵抗がある。妊娠という現象は女の人にしか起こりえないんだけど、それを除外しても、人として配慮されるべきところがある存在、というニュートラルさが欲しい。もし仮に男の人も妊娠できる時代が来たとしたら(あるいは空想の世界の話でもいい)、同じように扱われるべき、という感覚。だから、「婦」を使わなくて済む表現を探しているのだがなかなかないので、意味が通る限り「妊娠体」と呼んでいる。

「私」はいいけど「あたし」は違う、とか、「美味しい」は言うけど「うまい」は言わない、とか、「〇〇じゃね?」とか言えない、とか、言葉に対する個人的な線引きがあらゆるところにある。「おっぱい」という言葉にもまだ抵抗があって未だに口にしていないが、授乳するようになると気にならなくなるのだろうか?これはいざなってみないと分からないところだ。さらに余談だが、「H」「エッチ」という表現も抵抗ありすぎて言えない。というか、「うん◯」とかも含めてシモ関連は全般的に発音するのが苦手だが。

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