奥 麻里奈ドットコム

学ぶ母の生活と日々の散文

前回の続き。

言語習得法について。

ただいま2歳のわが子を観察していると余計にわかる。
劇的な伸び率で日本語を吸収している最中のわが子は、私が喋ったことを直後にリピートする。
一日中リピートアフターミーをやっている。
前も私が夫に「一つ一つの行動に表れてるんや」と言ったら、横から「ひとつひとつのこうどう?」と言っていた。
とにかく意味が分からなくても口に出して繰り返している。
つまりは音から入る。
そして、意味が分からなくてもとりあえず使っている。
最近は「ふしぎ」という単語が気に入ったようで、時計を指して「ふしぎな顔をしているね」と言ったりする。
とにかく声に出す。

言語はそもそも音声として生まれて、それを目で分かるようにしたのが文字なのだ。
やはり「音」ありきなんである。
語学は「目力」よりも「耳力」をもって制すべし。
単語にせよ、熟語にせよ、フレーズにせよ、音で覚えるのが一番揺ぎなく、実は近道。

それを高校時代の私は分かっていなかった。
無理やり丸暗記したグラマーの試験でトップ群になれなかったのはここにあったと思う。
英語がめっちゃできた人たちというのは「耳力」を駆使する術を持っていたんだろうなあと思う。
毎日NHK講座をちゃんと聴いたりとかしてたのかな?
そういえば英語の音に触れるということを高校時代一切してなかったわ、私。そりゃ伸びない。

そう考えると、高校の教科書にCDつけてないとかおかしい話やでなぁ。
今の高校生の教育がどうなってるかは知らんけども。

またもや前回の投稿から1か月経ってしまった。
まあ、ブログ書いてる時間あるなら勉強にあてた方がいいという話やけど。

語学の要は「➀音で覚える」これに尽きる、という説について。

というのも、私は完全に

「目で覚える」

タイプの人間だから。
教科書やノートに書いてあることを「画的に」覚える人種なんである。
私はこれを心の中で「目力」と呼んでいた。

たとえば、歴史の年号。
年号が覚えられないという話はあるあるだが、私は俄然得意だった。
なぜなら、数字の羅列をひとつの絵として覚えていたから。
「B.C.334年」とあるとすると、334の周りにエア輪郭を描き、そのフォルムが残像として頭の中に残る、という感じ。
この場合「目力」は、数字の並びが短いから発動できた。

だけど、語学、アルファベットが延々と続くような言語については、似たような絵柄が延々と続くため、もはや「目力」だけでは通用しない。
「目力」に代わる術を私は当時、持っていなかった。
作戦も持たず、ただ漠然と、無理やり覚え込もうと犬掻き式にもがいていた。
だからやってて苦痛だった。まさに苦行。
こんなに頑張ってたが、内心全然英語が好きじゃなかった。
根性ひとつでやったらあ~~!という体育会系学習法だった。

今回、フランス語を勉強し始めたとき、耳から慣らしていこうと思い、教科書についているCDを聴くことから始めてみた。
全然発音が分からないから、音を聴かないと始まらないのだ。
そうしてみると、フランス語は英語とは全然違うリズム感を持つ言葉だということが分かった。
英語みたいに子音だけの読みも少なく、一音一音平等に発音されている感じで、英語よりも朴訥とした、落ち着いた雰囲気の言語という印象だった。
英語はスキップしてるみたいに喋ってるけども、フランス語は徒歩でちゃんと歩いてる感じ。
そういう言語の根底に流れている「音楽」ごと身に沁み込ませていくことが、言語の習得には大事なのではと悟ったのだ。

続く。

訳あって、フランス語の勉強を始めた。
ざっくり言うと、ちょっと先の将来フランスに行ってやりたいことがあるからで、そのやりたいことの内容については今ここではぼかしときます。

ちゃんとやり出したのはつい最近でまだ日が浅いけど、ラジオのフランス語講座を聴くために朝、積極的に起きるようになったという生活の変化が起こりつつある。

語学というものに関して、私は漠然と後ろめたい気持ちがあった。
表立って得意とは言わないにせよ、不得意だと認める気持ちにはなれなくて、「実は不得意」を後ろ手に隠しているような。
なぜなら、中高時代それなりに英語は勉強してたからだ。
どれくらいやってたかというと、グラマー(文法)の授業に関しては習った例文全部を丸暗記してたくらいには。
だからグラマーの試験ではだいたいいつも9割くらいは取ってた。
(ただし、リーダー(読解)については長文すぎて丸暗記はしてなかったため、たいした成績ではなかった。「読解なんやろ?暗記とかじゃないし!という開き直りがあったのもある)

だけど、ほかの教科、たとえば世界史とか倫理とか生物とか国語とかに比べて費用対効果を薄く感じたというか、やった分の手応えを英語からはあんまり感じられなかったし、かじりつくように勉強して9割取ってたグラマーの試験も98点とか私以上にできてる人が毎回数人いた。
「あんなに隅から隅までやってるのになんで私より上をいく人が出るんだろう」という、不可解な越えられない壁を英語という教科に感じていた。
数学とか化学とか物理とかの理系教科に関してはもともと不得意意識があったし、周りの人が自分の理解を超えた点数を取ってたりするのが日常だったので『あの人たちには私には見えない地平が見えてるんだなあ』『理解するには私の脳みそに足りない成分がある』と思っていて壁の存在を端から認めていたが、英語・・・・・・お前・・・・・・文系教科のくせになんでそんなに私の懐に入ってこない・・・ぐぬぬ・・・そういう感じだった。

そこから20年経った36歳の冬。
必要に迫られてフランス語の勉強を始めて突如、語学の地平が見えた。

語学の習得は、

➀音で覚える

これに尽きるのだということを。

➀と書いたが、➁があるわけではない。というか、あるのかどうか分からない。
ただ➀と書きたい気分に駆られるような、そういう発見だった、私にとっては。

続きます。