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自分のことを「ママ」と呼ぶこと、呼ばせることに抵抗がある。今の世の中的にはむしろメジャーな呼び名だと思うし、人がそう呼んだり呼ばせたりしていることに違和感はないのだが、自分事ではない、という感じなのだ。

じゃあ何がしっくりくるかというと、「お母さん」。これも普通の話だが。「お母さん」はいいけど、「ママ」は違う。何故そういう感覚なのかというと、私が母のことを「ママ」と呼んだことがないからだ。ちなみに関西人だけど「おかん」と呼んだこともない。うちの兄たちは言っているので、これは自己イメージの問題だと思う。「おかん」という言葉を使うほど粗野な、ストリートな人間ではないという。「ババア」とかいうような表現で罵ったこともない。

母は自分のことを一度も「ママ」と呼ばなかったと思う。推測でしかないが、母は「ママ」という言葉の甘ったるさに恥じらいがあったのではないだろうか。なぜそう思うのかと言うと、私がそう感じるからだ。私は自分のことを「ママ」と呼ぶ甘ったるい響きに恥ずかしさがある。「お母さん」と呼ぶより「ママ」と呼んだ方が子どもの甘え態度が大きい感じ。「ママ」と言うときの、あからさまに甘えまくり・甘えさせまくりな態度を許容する空気感を気恥ずかしく感じる。恋人同士の「ダーリン」「ハニー」な空気にあてられたときの、ちょっとぞぞっとする感じと同類。

それと、「ママ」の方が今っぽい。現代的。欧米語だから。「お母さん」の方が古風。日本語だから。そういう、簡単に今っぽさを身に纏うことに対しても気恥ずかしさがある。だって、どんなに欧米っぽさを装ったって結局日本人なのに。そういう感覚が私の中にあるし、母にもあったのではないかと思う。どんなにお洒落な服を着てても日本人であることには自覚的でありたい。そのために言葉を選んでいる。

そういう風に、一般的に使われている言葉だけど個人的に使うには抵抗がある言葉が私にはいろいろとある。「妊婦」というのもそうだ。分かりやすくするために便宜的に使うときもあるが、必要に迫られなければ極力使わない。「婦」があまりにジェンダー的でありすぎるから。あまりに「女性特有のものよね〜」というのを醸し出しすぎているように感じるから。私の感覚としては、妊娠自体は女の人特有の現象であることは認めているけど、区分としては「妊娠体」と「非妊娠体」というのがまず先に来ることであって、そこに「女なのよ!ずん!」という感じで腰に手を当てながらアピールする感じが自動的に乗っかって来ることに抵抗がある。妊娠という現象は女の人にしか起こりえないんだけど、それを除外しても、人として配慮されるべきところがある存在、というニュートラルさが欲しい。もし仮に男の人も妊娠できる時代が来たとしたら(あるいは空想の世界の話でもいい)、同じように扱われるべき、という感覚。だから、「婦」を使わなくて済む表現を探しているのだがなかなかないので、意味が通る限り「妊娠体」と呼んでいる。

「私」はいいけど「あたし」は違う、とか、「美味しい」は言うけど「うまい」は言わない、とか、「〇〇じゃね?」とか言えない、とか、言葉に対する個人的な線引きがあらゆるところにある。「おっぱい」という言葉にもまだ抵抗があって未だに口にしていないが、授乳するようになると気にならなくなるのだろうか?これはいざなってみないと分からないところだ。さらに余談だが、「H」「エッチ」という表現も抵抗ありすぎて言えない。というか、「うん◯」とかも含めてシモ関連は全般的に発音するのが苦手だが。

世の中の多くの妊娠女性は初期、悪阻に苛まれるらしい。でも私は悪阻がほとんどなかった。「それはラッキーだよ」とよく人に言われるが、本当にそうだと思う。

悪阻と言えば「吐く」症状のことをたいがいは指している。だけど実はいろいろ種類があって、食べ物の匂いを嗅いだら吐き気がする「匂い悪阻」、お腹がすいたら気持ち悪くなるから何かしら食べ続けないとやってられない「食べ悪阻」、とにかく吐き気がする「吐き悪阻」、とくに気持ち悪いとか関係なくとにかく眠たい「眠り悪阻」など。眠り悪阻は吐き気と関係ないという点で一般的な悪阻のイメージとちょっと種類が違うし、私も眠たくなったりはしたので悪阻症状がなくはなかったのかもしれないけど。

吐いたのは1回だけで、しかも何の前触れもなく反射的にいきなり吐き気がして吐いた。それ以外は、終始何とな〜く薄〜く気持ち悪いな〜というのがずっと続いていたけど、吐くほどではなかった。というか、「気持ち悪い」と思ったらほんとに吐きたくなるような気がするので「何とな〜く気持ち悪い」感じからいつも意識を逸らしていた。だから、正確に言うともしかしたら私は悪阻を「なかった」ことにしているだけかもしれない。

でも、食べることに関しては何の障害もなかった。いつでも健全以上に食欲があった。変化があったと言えば、初期はジャンクなものをあまり食べたくなくなったことだ。以前は何か手持ち無沙汰というだけで意味なくお店のお菓子の棚を物色して買ったりしていたのに、お菓子の棚に目がいかなくなった。お菓子を買わない日が続いても全然大丈夫で、今までにないくらい家で自炊をしていた。でもこれは初期だけで、中期以降はお菓子もバクバク食べるようになったが。

あと、酸っぱいものが欲しくなるとか、食べ物の好みがガラッと変わるとかもよく聞くが、私はそこまでの変化はあまりなかったかもしれない。どれもまんべんなく美味しかった。ただ、海鮮が好きなので、妊婦が生の魚介類を食べるのがNGなことにはしばらく未練タラタラだった。妊娠というのはある日を境にいきなりするものだから、何の覚悟もなくあるとき突然、生魚NG、生卵NG、カフェインNG、アルコールNGになってしまう。「これから妊娠するから今のうちに食べ納めておこう」とかは不可能なのである。生卵とカフェインとアルコールは別にいいが、生の魚介については突然目の前でシャッターが下ろされた感じがして、ドンドン戸を叩いて「開けてよ〜〜!」みたいな気分だった。

そして結婚生活が始まって、毎日栄養バランスのいい手料理を食べる超・理想的な食生活がスタートした。毎日メニューを変えてあれこれ食べていると、万年便秘症だったはずが、便秘になりやすいと言われる妊婦なのに便秘が解消された。結局これまで野菜不足だったようだ。

そういう快調な食生活をしばらく送っていたが、後期に入って、食べると気分が悪くなるようになった。食べたあと寝転がると「ゴゴッ」という音を立ててげっぷが自動的に出る。逆流してきたりもして、さらに具合が悪くなる。大きくなった子宮が胃を圧迫しているらしい。「後期悪阻」というものがあるのを初めて知った。悪阻は初期特有のものだと思っていたのに。はめられた。でも食欲は変わらず健全以上。いっぱい食べたい。だけど食べたら不調になる。ジレンマ。だけど結局食欲に負け、いつも気持ち悪くなる方の道を選んでいた。後期に入って2、3週間もすると、そこまで具合が悪くなることはだんだんなくなってきた。子宮が下りてきて胃への圧迫が軽減されてきたようだ。

今はお腹がだいぶ大きくなって食べるとはち切れそうになり動くのが困難になるが、食欲自体はまったく衰えず、一定。だからはち切れるのが分かっていても食べる方をいつも選んでしまう。だって通常体だったら難なく食べられているのに。悔しい。よく食べる自分でなくなってしまうのが嫌なのかもしれない。自分が変わってしまうことを拒否しているのかもしれない。自分で自分のイメージを壊したくない自分がいる。

あと少しすれば、「食欲に関してはとても安定感のある妊娠生活だった」と振り返られることになると思う。ただ、もう17kg増えているのが気になってはいる。

昨日は私が朝起きられない話についてしつこく書いた。これだけの理由があって起きれないんですよ、だから規則正しい生活をするのが困難なんですよ、というアピールだ。

で、胎児の睡眠にフォーカスする。この間、NHKで「ママたちが非常事態!?」という番組をシリーズで2回ほど放送していた。その1回目の放送のときに、「お腹の中の赤ちゃんは20分?くらいのスパンで寝たり起きたりしていて、とくに、昼よりも母体が寝ている夜の間に頻繁に起きる。なぜなら、母体の負担にならないようにタイミングを見計らっているからだ。そして、生まれてからもその名残で最初は夜何回も起きる生活リズムになっている」ということを解説していた。

これは実感としてある。夜寝る前横になると胎動が活発になるのを毎回私自身も感じている。

で、ということは、お腹の中の子にとっては昼夜関係ないということだ。昼も夜もないんだから、私が規則正しくない生活をしようと問題ないんじゃないか?生まれてからもしばらくは一日中寝て起きてを何回も繰り返す生活リズムからスタートして、だんだん昼と夜というものを習得していくわけだから、今母体の生活リズムが人より若干違っていようと影響はないんじゃないか?そしていずれ赤子は自然のリズムに従って朝早く起きて夜早く寝るようになるのだから、私もそれに合わせざるを得ない状況になるんじゃないか?だとしたら、「妊婦は規則正しい生活をすることが大事!」っていう説教は一体何を根拠としているんだ?そんなことより、眠くなったり調子が悪くなったりしたら好きなだけ寝られて、運動はするようにして、バランスのいい食事をして、心穏やかに、夫と仲良く、楽しく、幸せに過ごせる環境にいる方がよっぽど胎教にいいんじゃないか?

……と思ったわけである。

だから、私は規則正しくない生活はしているけれども、妊娠期間中、仕事で多大なストレスを抱えたり、パートナーとの関係で納得のいかない思いをしたり、しんどいのに休めずどうしても耐えなければならなかったり、ちゃんとした食事をしたいのにそれがなかなか難しかったり、といった心労の多い状況になることはなかった。仕事もかなりペースダウンしてゆったりのんびり呑気に過ごさせてもらった。毎日満員電車に乗って職場に通い、産休に入るまで働かざるを得ない人たちよりよっぽど肉体的にも精神的にも余裕のある生活を送っていると思う。それだけで胎児にとってはかなり子宮環境が良い母体なんじゃないかと思うのだ。「規則正しくない生活をしてしまってる〜〜」ってことでストレスを溜めることになれば本末転倒だし。

そういうわけで、私は自分が今規則正しくない生活になっていることを正当化したい。その胎児の睡眠リズムの理論からすれば私はそんなに悪いことをしていない、と。規則正しい生活が難なくできる人は私のような人を非難しないでいただけたらと思う。

妊婦にとって食事、運動と同じくらい大事だとよく言われるのが「規則正しい生活」というやつ。しかし私はこれがまったくできていない。なぜかと言うと朝起きられないからだ。

正直言って、毎日午前中のほとんどは布団の中。夜は1時〜2時くらいに寝ることが多い。しかも昼寝までする日もけっこうある。一度寝ると1時間とかでは起きない。2〜3時間くらい寝てしまう。妊娠してから活動総時間が圧倒的に短くなった。まあ、妊婦は昼寝したりするものみたいだけど。

朝は昔から起きられなかった。小学生のときも、8時30分までに登校しないといけないところを8時に起きて8時15分に家を出ていた。中高時代も、家を出る15分前に起き、電車を降りたら全力疾走する毎日。思えば会社員時代もそうだった。だから朝ちゃんと起きられないことに対する蓄積された罪悪感は相当なもので、しまいには朝起きないといけないプレッシャーで夜眠れなくなり、朝方ようやく眠くなるのでギリギリまで眠りたく、会社直行の日は電車に乗ることもできなくなっていきタクシー通勤の日々。引っ越しを重ねるたびに会社までの距離がどんどん近くなっていった。

なぜ朝起きられないかと言うと、①低血圧なので目が覚めてもすぐ起きられない、②朝早く起きると調子が悪い、③朝は寒々しくて怖い、④起きてもとくにやることがない、⑤こともあろうか夫も夜型人間で朝寝ている、からである。

①と②は繋がっている、というかほぼ同義だが、目が覚めたと同時に体を起こすことができず、起きるための助走時間を布団の中で取っている。その時間はだいたい2時間。長い。前は本を読んでいたが今はスマホ。そうでないと無理矢理起きても頭がクラクラして体が冷えていてだるくて起きていられず、結局布団に戻る。おそらくこの低血圧体質のせいで午前一番の妊婦健診中に診察室で吐いたこともあった。エコーをお腹に当てているとき仰向けになっていて、ただでさえ血の巡りが悪いところを大きな子宮が大静脈を圧迫して顔面蒼白、呼吸をするのが苦しい状態になり、冷や汗タラタラ、咄嗟に先生のデスクにあったゴミ箱を抱えて嘔吐した。だけど、世の中には「低血圧だから起きられないというのは言い訳だ」という論調もあったりして、そのせいで「私は朝もちゃんと起きられないダメ人間なんだ…」と罪悪感を蓄積し、自己肯定感を損なわされてきた。こういう社会圧に対しては心底恨んでいる。

③は、朝の光が青っぽく、薄ら寒いのが淋しさを助長するうえ、低血圧の体をより冷やすようで、心を挫かれる。よく朝は爽やかだと言われてるけど、私にとっては爽やか=涼しい=寒い=淋しい、である。9時10時になって光が黄色くなってくると温かみを感じてやっと安心して活動できるような気分になれる。

④は、たぶんだけど、今までの人生、朝起きる理由が「学校なり会社なりに行かなければならないから」だけでここまで来てしまったからである。私にとって朝起きる理由は外部にあって、自分のために起きるという発想がないのだ。朝ゆったりとコーヒー飲むとか、やりたいことやるとか、出社前の時間をそういう風に遣う人がいるが、朝起きてまでそんな楽しみにできるようなことなど何もない。もちろん、朝起きて掃除洗濯とかやればいいのだけど、そのために起きる気にはなれない。私の人生はそんなに希望に溢れていないのかもしれない。

⑤が決定的で、私と同じ夜型人間なうえ、仕事もフリーなので起きる時間に制約がないため、朝目をつむっている夫に生活スタイルを合わせている節がある。しかし夫と私の違いは、私が神経過敏気味で5、6時間で目が覚めてしまう(その後布団に滞在)のに対し、夫はどこまでも寝続けられるところである。そして目が覚めたと同時に体を起こすこともできる。朝遅く起きることに対して罪悪感もまったくなさそうだし、見ていて羨ましい。私も寝続けられるならどこまでも寝続けたい。だけど、目をつむってる夫の横で現実世界に体を慣らしながら夫が起きるのを待っている、淋しいから。でもさすがに耐えきれなくなって先に起きることに毎回なる。それだったらさっさと起きればいいのに…と自分でも思うのだが、③④の理由で起きられない。理想は、夫が早起きしてくれて私も淋しさを感じることなく朝の時間を過ごせることである。

朝型礼賛の風潮に対する溜めてきたウラミツラミがありすぎてここまで朝起きれないことについてツラツラ書いてしまった。

実は、そもそも言おうとしていた本題についてはまだ辿り着いていない。明日に続く。

妊娠を体験して初めて知ってびっくりしたことに、「お腹は徐々に大きくなるわけじゃない」という事実がある。あるとき一気に出てくるのだ。

私は6か月めのときに結婚式をしたのだが、「きっとギリギリ大丈夫だろう」と予測して、一か八かで海外のサイトで9号のウエディングドレスを買った。しかも、マタニティウエディングに推奨されないタイプのスレンダーラインのドレス。ぶわっと広がるやつより、シュッとしたやつの方が好みだし、本来の私の体型とかキャラクターとかに似合ってると自分で思ったからだ。

届いて着てみると、ウエスト周りは少し布が余る感じで「これはいけそうだ」と確信した。本番の日にも少し膨らみのラインが出るものの予定通り入ったし、パッと見では妊婦と分からないほどだった。あとから写真を見ても普通に通常体に見える。

ところが、そのあと2週間だったか程なくして「あれ!?」と思うようなお腹になっていた。お腹のでっぱりが「明らかに妊娠してる人」のものになっていたのだ。月1回の健診に行くと、お腹の子は800gくらいになっていた。「え!?」耳を疑った。前回4週間前に行ったときは400gくらいだったのだ。ピンと来ないかもしれないが、考えてみて欲しい。5か月くらいかけて、胎児はコツコツ体を大きくしていってようやく400gになったのだ。それが、その後4週間で一気にほぼ2倍になっている。今までコツコツ積み重ねてきた努力は何だったんだ…数100gだった塊が、いきなり1kg近くなるって…。ウエディングドレスを着た1か月後、「1か月遅かったら絶対着れなかったな…危なかった…」危機一髪を無事切り抜けられたような心境になった。

そして驚くことに、そのまた次の4週間後の健診では1300gくらいになっていた……2倍とはいかないが、2倍に迫る勢いの猛スピード成長である。そこからはこういう調子でどんどん増えていき、今はもう生まれてきてもOKな体重にすでになっている。

中高時代に授業で習った生物の発生の「卵割」の絵が頭にぽやぽや〜と浮かんできた。受精して最初は単細胞だった細胞が、2つになり、4つになり、8つになり……と倍倍で細胞数を増やしていって、分化していく。きっとあれと同じ原理だ。成長は2乗のスピードで行われるのだ。だからあるときから見た目に明らかなほど一気にお腹が出てくるのだ。

妊婦が妊婦らしさをそなえるとき、それは7か月めである。妊婦のトレードマークであるお腹のでっぱりが日常生活から切り離せなくなるのもその頃。歩いていて息切れしたり、骨盤ベルトをしないと腰の痛みがどうしようもなくなったり、しゃがむのが困難になったり、ハンデのある体になる。

だけどその分、お腹の中の存在が実在することに疑いようがなくなった。それまでは「本当にいるのかな?」「知らんうちに消えたりしてない?」という疑問符が毎日頭に浮かんだ。そして健診に行くたびに「ほんとにいるーー!!」と毎回驚いていた。だけど、この重み、この骨折りは紛れもなく存在することの証である。そして私の意思とは無関係に轟くデンデン太鼓の力強さも。この頃から、私たちの生活にもう1人の確かな影が少しずつ忍び寄ってくるのである。