奥 麻里奈ドットコム

学ぶ母の生活と日々の散文

モンテッソーリ教育とフランス語について書いていくなどと宣言しておきながら、あんまし関係ないことを書きたくなった。

あるとき語学についての雑談をしていたら、高校生のお子さんを持つある人が「家族で語学を楽しむ会に所属している」と言っていた。
へえ~と思い、参考までに会の名前とか詳細を聞いたりしてたら、「私は、自分の子どもを褒める環境で子育てしたかったからそこに入ったんだよね」と言った。
「日本人って謙遜する文化じゃん、だからママ友同士で自分の子を褒めないでしょ。だけど、ほんとは心の中で『うちの子ってこんなに賢いのよ~』とか思ってるじゃん。そこだと、『うちの子、こんなことができるようになったのよ~』とかわが子を自慢し合うのが普通なんだよね」と。
へええ~~と思って、「ほかの子の自慢話聞いても何とも思わないんですか?」と聞いたら、「うん、みんな言い合ってるからそれが普通。『すごいね~』って言い合ってる。みんな家族の一員みたいな感じだから。そこにいると解放される感じがするんだよね。もちろん、一歩外に出たら言わないよ」と言っていた。

何かとちょいちょい自分の子自慢を挟んでくる友達がいる。
その友達はキャラが濃く主張が強い性格なのと、私との親しさが相まって、自意識の堤防が決壊して自慢が駄々漏れ状態になっているようだ。
私が自分の子の話とか、私が目撃したほかの子どもの話とかをしていると、カットインして自分の子の話に引き寄せて自分の子褒めをしてくる。
私は会話のターンを盗られることと他人の自慢話を聞かされることへのちょっとしたイラっと感をいつも味わわされていて、「ほんとこういうところ常識に欠けてるよな~」と心の中で思っているのだが(と言うと、この友達を嫌っているように聞こえるけど、嫌っているわけじゃなく、実際は仲がいい。友達関係って、その人の全部を肯定できないと成り立たないわけじゃない、少なくとも私の場合は。)、件の話を聞いて、そういう気持ちになっている自分がいることを意識した。

わが子自慢を聞かされるのを不快に感じている自分。
「自分の子を自慢するのって常識から外れてるのになあ、分かってないなあ」と。

こういう思考、すごく“典型的日本人”的だ。
自分の中に典型的日本人がしっかりといることを思い知らされたように感じた。
“日本人的”なことに否定的な、リベラルな自分でいるつもりだったのに。

かと言って、「これからはわが子自慢を受け入れよう、他人のも自分のも」という風に切り替えることができそうにもあんまり思えない。
それくらい、日本での世間というものの圧は強力なんだろう。
『ここでは自慢してOK』なサンクチュアリをつくらないと、日本人には難しいのかもしれない。

だからって、さあこれからその友達とサンクチュアリを築こうってしても無理だろう。
もし私が開き直ってわが子自慢したらその子もわが子自慢を被せてマウント取ってくる想像がめっちゃつく。平和は容易には実現し難し。

私も『自慢OK』な国へ行ってみたい。
そこで『ひとの自慢もOK』な自分を体験してみたい。
どうしてそれが不快じゃなく受け取れるのか、その心理を実感したい。

とはいえ、その「家族で語学を楽しむ会」の月謝もけっこうな額だし、入るのはちょっとハードルが高いのだが。

子育てが始まってから変わったことの1つに、テレビを観るようになったことがある。夫は惰性的によくテレビをつける人なので、子育てなのか結婚なのかよく分からんけど。
でもとにかく、毎週(あるいは毎日)楽しみにしてるテレビ番組があって、その時間になるとソワソワしてテレビの前に行くという行動を取るのは、私にとってはかなり画期的なことやった。これまではテレビは真剣に観るもんじゃなかったから。どっか上から目線で、凝視する価値のあるもんじゃないと無意識に思ってた。
だけど今は、「拝ませてもらう」みたいに観てる番組がある。

今夢中になって観てるのは「やすらぎの郷」。話題の高齢者向けの昼ドラ。あと、1クール前は毎週火曜にやってたドラマ「カルテット」にもハマってた。
この2つに関しては、「テレビでこんな質の高いものが観れるとは!」という感想。「テレビは薄っぺらいものしか流れない」と思ってたけど、「つくる人がつくれば中身が詰まってるものになるんやなあ…」と発見したような気持ちになった。「脚本家になりたいなぁ…」っていう淡い考えが浮かぶくらい。
あと、街好きになってから定番で観てる「アド街ック天国」。これについてもリサーチ力にいつも舌を巻いてる。ほんま制作してる人リスペクト。今から新卒で就活するとしたらアド街つくってる制作会社に入ってアド街つくる仕事したい(かも)。

それで、好きなテレビ番組を観るのに付随する作業が、Twitter検索。観終わったあとに「やすらぎの郷」とかで検索して、観てた人がどんな感想呟いてるかを確認してる。たぶん、「やっぱそう思った?」とか「へえ〜そんな風にも観れるんかぁ」とか、誰かと感想を共有したいんやと思う。
この作業含めて私のテレビ鑑賞は完成する。

子育ての合間に楽しみにしてるドラマを観る生活とか、めっちゃ専業主婦的やなぁ〜と思う。
一人暮らししてたときはテレビに自分の時間を合わせるということがなかった。やけど今は、せめてテレビに時間を合わさせてもらわないとエンドレス子育てから気を逸らす息継ぎタイムを持てないのかもしれない。まあ、それより単に「ずっと家にいる」のが大きいかもしれんけど。
そういえば、前に育休中だった友人が「5時に夢中!」にハマってることを熱心に言ってきたことがあった。「岩井志麻子と中瀬ゆかりが出てる木曜が一番面白い」とその場で録画を見せてきたほど。職場復帰してからは録画してまで観ていたとは思えないけど、果たして?

置かれている状況によって生活が最適化して、定型文みたいに世間によくある形になってる自分がいる。世の中うまいことなってる。でもそんなことより、「やすらぎの郷」が面白いんやぁ〜!

出産してからここを離れてたけど、とりあえずちょっと戻ってきてみた。とくに何を書こうとか決めてるわけでもないけど。

子はもう8か月になって、お座りとハイハイと掴まり立ちで自分で動くことができる。そうなると自分の意思で行きたいところへ行くことができるから、ぐっと人間らしくなってきた。というか、今は一番犬に近い。犬と同じような動作しかできないから。ニコニコしながらハイハイで駆け寄ってくる様子とか、嬉しさで興奮してハッハハッハ言うのとか、ほんまに犬とまったく同じ。人間を犬と同じとか言うと何か不謹慎なようにも思われそうやけど、私は逆に「犬の動作って人間と同じようなメカニズムになってたんやなあ」って思った。というか、人間と犬を同列に置いたらあかんという方が失礼な気がするけど。

試験的に、関西弁で書いてみる。というのも、話すように書く文章を書いてみたいから。

「こんなにかわいい子が生まれてくるとはまったく想像してなかったわ…」というのが子ができての感想。本当にこんなに期待してなかったかわいさ。私の子は何かとよく笑ってて、この世界で生きてて嬉しかったり楽しかったりすることが多いみたい。歌の歌詞でよく「君の笑顔を守りたい」とかいうフレーズが出てくるけど、あれ、今まで全然意味分からんかったけど、今回人生で初めて心から思った。いつもニコニコ思うがままに笑う子でいさせてあげたい。ポワポワと笑顔を発生させてるその心がゆがめられないように。

そんな子を見てると、根っからのワルはいないというのはほんまやなぁ、と思う。子どもはみんなまっさらな状態で生まれてきて、善も悪もなくて、ただ欲求があるだけ。だから何をされてもまったく怒る気にならない。こちらの思い通りに動いてくれなくても、というか動いてくれないけど、悪意がないことが明白やから、ただ欲求の赴くままに動いてるだけやから、声を荒げる気にもならない。喉からは優しい猫なで声が出てくるだけ。

そんな風に、猫可愛がりしてる毎日やけど、大変なのは大変。だって見守り24時間体制やから。24時間というのはほんとで、夜中も何回も起きて授乳してる。出産してから好きなだけ寝続けられたことは皆無。なぜなら子が起きるタイミングに合わせて私も起きるから。好きなだけ眠ることを8か月以上一回もしてないってすごくない?7か月くらいのときから、そういう生活、ちょっとキツくなってきた。というか、それまで「そういうもんやろ」と思ってやってこれたのが不思議や。

そろそろ私も出産以前の通常モードに戻りつつあるみたいで、いろんなローカルな街を見に行く趣味も最近再開した。友達とも会いたくなってきた。やっぱり子が自分で好きなように動くことができるようになったからかな。子の個が確立してきたことで、私の個も呼び戻されて来たというか。

明日はフリータイムをもらうので、ずっとまた行きたかった立ち飲み屋に行く予定。