奥 麻里奈ドットコム

学ぶ母の生活と日々の散文

春になって、うちの庭の花が咲き出した。自慢はしだれ桜。普通の桜よりも咲く時期が遅いので、ようやく今ちょこちょこと濃いめのピンクの花が裸だった焦げ茶色の枝に加わってきた。私が住んでいる物件は一軒家の一階部分で、毎日庭を見ながら過ごす。冬の間はいたって普通のありふれた緑の絨毯だったのが、春になって名前が分からない白い花が一面ブワッと咲いて、今は白と緑の絨毯になっている。ここに野良猫が通りがかると、図々しい性格の猫でも白い花に包まれたその姿はかなりメルヘンチック。最近はまた別の、細長い葉っぱの植物も背が伸びてきて、紫色の花が咲き始めた。

うちの庭だけでも春の芽吹きを著しく感じるのだが、近所の庭や公園で花が咲き出したのをあちこちで目撃していたので「春になってきたんやなあ」と日々実感していた。とくに近所の山の中にある公園では、少し前、木の枝に桜の花がチラッとついていたので、「そろそろ満開に近いはず」と思って最近夫と散歩がてら様子を確認しに行った。そしたら思った以上に桜が咲き乱れていて、密かに圧巻の景色をつくっていた。ここはそんなに知られた場所でもないようで、犬の散歩コースに利用してる人や子どもを遊ばせるために一緒に来る親子など、近所の人たちしか来ない、隠れ家的花見スポットになっている。なので次の日は夫とピクニック気分で焼きそばを持っていき、ベンチで花見をしながらお昼を食べた。

「花とかあんまり見てなかったけど麻里奈が花に興味があるから言われて意識するようになったよ」と夫に言われた。一瞬、「ん?興味?」と思った。たしかに私はことあるごとに咲いてる花を見つけては「見て、咲いてる」と指差して夫にそれを見るように促していた。でも、私、そもそも花にそんなに興味あったっけ?むしろない方だったような。実際、小説とかの風景描写は退屈すぎて苦手で、読み飛ばしたい衝動に駆られるページNo.1なはずだ。

よくよく考えてみると、東京にはこんなに草木はなかった。今住んでいるところは東京の隣県だが、ほとんど東京に隣接しているくらい近いところである。だけど、住宅地の様子が東京とは違う。どこの家にもいろんな種類の木が植わっていて、整いきっていない、ちょっと野性的な年季の入った庭の濃い緑が住宅地を覆うようにして風景をつくっている。だけど、東京の住宅地にはこんなに緑はなかった。そもそも庭のある家が少なかった。あったとしても敷地からはみ出していって逞しき野生のパワーを見せつけているような、本来の意味の「自然」を見ているような植物の姿はない。庭の植物は周りを気にしながら個々の家の範囲内に肩身狭そうに収まっている、そういう印象だった。東京の住宅地はあくまでアスファルトとコンクリートが主役。緑は厳密に指定された場所にしか存在することが許されてないような感じだった。

だから、花を目撃する機会が今までほとんどなかったのだ。東京で春を感じようとしたら、「緑があるのはここです」と指定されている場所に行って確認するしかない。公園とか、並木通りとか、ちゃんとそれ用に整えられたところにしかない。桜は不用意に突然現れない。椿も、梅も、こぶしも、菜の花も、キンカンも、はっさくの実も。東京で季節を感じることが乏しかったのは、私が仕事や生活ばかりにかまけていたからだけではなくて、道端に季節が転がっていなかったからだったのだ。

東京と言っても私が住んだことがあるのが23区なので、23区を外れるとまた事情が変わってくるのかもしれないが、ともかく、東京23区内は人がいすぎて一人一人が所有できる土地の面積が小さいのだろう。だから互いに気を遣い合って、人に迷惑掛けないように、はみ出ないようにしながら、肩を寄せ合い、肩身狭くいるのだろう。

23区には、余白がない。手つかずの土地がない。すべての土地に何かしらの意味付けがされている。この自然は公園ですよ、ウォーキングコースの緑道ですよ、神社の敷地ですよ、とか。だけど、今住んでいるところでは「指定保全地区」という名の、手をつけるにはちょっとめんどくさそうな竹薮の森が、歩いていると突如出現する。ドーンと大雑把に、放置された自然がそこかしこにある。こういう緑の余白に私はホッと息を抜く。東京にいたとき、どうしてもコンビニに寄らずにはバランスを取れないような息詰まり感をいつも感じていたが、それはあまりにも余白の地がなく、誰の所有地でもない、お金を払わなくても許される「居てもいい」場所が自分の部屋以外にほとんどなかったからだったのだ。

そういう意味で、東京は住む場所としては特殊な地域だ。東京を出てみて、「人工」の意味がさらによく理解できる。すでに地元びいきなのか、この先また東京に住みたいとは思っていない。今は、東京での生活はもうほかの人に任せて、余白のある日常を味わいたい気分でいる。

前に、暇ができたことによって人間のプリミティブな欲求に気付いたという話を書いた。赤ちゃんの頃から人間ほとんど変わってないという話だ。気付いたのは「あり余るほどの時間ができたから」という風に根拠づけを試みてるが、実際それが原因なのかは分からない。もう1つ考えられるのは、お腹の中にいる赤ちゃんが私に乗り移ってるんじゃないかという可能性だ。

妊娠してから赤ちゃんや子どもの気持ちをだいぶ理解できるようになった。基本、「こっちを見てくれ」「かまってくれ」って思ってるし、背中をさすってもらったりポンポンされたりすると安心するし、甘えられるだけ甘えたいし、可愛がられたい。赤ちゃんは自分で動けないけど動きたいから揺すられてると嬉しい。子どもは体が軽いから終始動き回ってる。これは人間に限らず、犬猫など動物もみんな一緒だと思う。こういう気分は、胎児と一体化しているがゆえに私自身にももたらされているような気がする。

こういう欲求を受け入れてくれる人がそばにいるせいか、赤ちゃん返りをしているような気分になることが毎日の生活の中の瞬間にある。手をつないで歩くとき、体が重いためゆっくりとしか歩けないというのもあって、親に手を引かれる幼子のような気持ちになっている。体を撫でられるときも、恋人同士というより親子関係の「よしよし」のような感覚になりとても心地良い。矢野顕子の曲で「お母さんもたまにはいいこいいこって褒められたいの」っていうような歌詞があったけど、あの曲、正直聴いたときは「おばさんが甘えたいとか、何か気持ち悪いな〜」って思っていた。おばさんの少女心とか、見せないで欲しい。けど、今は分かる。おばさんも、おじさんも、おじいちゃんも、おばあちゃんも、かっこつけてる若者もみんな、幼かったときと同じようにいいこいいこされたがっている、本当のところ。

それを理解するようになってから、すでにいい年の大きい体をしている夫も、ただの幼子だった頃から何一つ変わっていないんだなと思えるようになった。夫の心の内にだって、私と同じように甘えたくて可愛がられたい欲求が仕舞われているのだ。だから、私は夫にも「よしよし」を進んでする。人に対してそういう気持ちを快く認めてあげたくなったのもこれまで生きてきて初めてのことだ。私は誰の「よしよし」願望も受け付けて来なかったし、自分自身のそれを無きものにしながら過ごしてきた。そんなものは今更自分の中に埋もれているなんて思いもしなかった。だからこそ、人がそういう片鱗をちらっとでも見せようものなら素早く拒絶の意思を示してきた。「私は甘えないんだから、あなたにも甘えさせない」と。

そんなところへ、今私の体と同化しているお腹の子の心が私の心に憑依して、私の埋もれていた欲求をいとも簡単に拓かせた。そして他人の中にある欲求の存在も見抜かせた。胎児というものはそんな働きかけを母体にしているのではないだろうか。もしくは、胎児の存在をつねに感じている私の方が胎児に憑依しているのだろうか。

お腹の子の気持ちを通して自分の気持ちを知り、自分の気持ちの表現をする。見て欲しいときに「見て」と言い、かまって欲しいときに「かまって」と言い、甘えたいそぶりを見せる。ただし、これは夫に対してだけ拓かれるチャンネルであり、それ以外の人には決して見せることはない。もちろん、恥ずかしいからだ。そんな風に拓ける相手が1人いれば人生充分である。

妊娠してから13キロは増えた。測ったのは2週間前だから今はもっと増えてると思う。赤ちゃんにまつわる重さは最終的に7、8キロらしいので、残りの5、6キロは本体についたということだろう。

お腹が見た目にも目立ってきたのは7か月め頃で、6か月めくらいまでは傍目にはあまり目立たなかった。もちろん自分としてはお腹がいつもより膨らんでいるのは知っていたが、その頃着たウエディングドレス姿の写真を見ても妊婦にはあまり見えないくらいの膨らみだ。

ということは7か月め頃から一気に増えたのか、と言うとそういうわけでもない。私の場合、初期から順調なペースでどんどん増えていった。1か月2、3キロくらいのスピードで。私は食べ物関連の悪阻は全然なく、何でも美味しくもりもり食べていた。かと言って食べ過ぎていたかというとそこまででもない。食欲自体は通常体のときとあまり変わらない。もともとよく食べる方ではあるので普通によく食べていたらそれが素直に体重に反映されていった、という感覚である。普通、最終的に10〜12キロ増が目安らしいのですでにオーバーしてしまっており、さすがに「こんなんで大丈夫なのか?」と気掛かりではあるのだが、担当の先生は何も言って来ない。こないだ助産師さんに聞いたら「いや、とくに…気になるなら食べ物に気を付けてみてください」と言われる程度で、幸か不幸か全然厳しいことを言われない。私はもともと体重に変動があまりないタイプなので、病院で体重計に乗る度に「こんな体重見たことないわ……」という思いを毎回した。60キロ代とか今までの人生で未知の領域である。見た目はお腹以外のところはそこまで太った感じにも見えないので、「お腹以外のところでこんなに一体どこについたんや?」とお風呂に入る前、鏡に映った自分の体を見て毎回不思議に思っている。

が、体は実際重い。重いことによって、動くのが大変だ。まず、寝た状態から起き上がるとき、座った状態から立ち上がるとき、軽く「一念発起」の気合いが要る。そして必ず「よいしょーっ」と景気付けの掛け声をあげる。そうじゃないとやってられない。外を歩くときは、お腹を突き出してのっしのっしと地を踏むお相撲さんの気持ちになる。坂道や階段はすぐ息が上がってきてノロノロスピードじゃないと進めない。もともとややせっかち気味なので、信号や電車に間に合おうとしてすぐ走るような、キレよくシャッシャッと体を使う人間だったのに、今はすっかりのんびり屋さんになった。

体が重い→動くのに労力がかかる→体を動かすのが億劫→省エネモード→ますます太る→最初に戻る

これが、太った人の心理である。妊娠したことで、手に取るように分かってしまった。これは、太った人は大変だ。2、3キロ痩せようとする人と10キロ痩せようとする人とでは覚悟も苦労も2乗の比例、2次関数的な量の差がある。ハンデがものすごい。逆に、子どもが何故あんなに落ち着きなく動き回るのかというと、体が軽いからである、絶対。物理的な問題であって、「子どもだから」とかではない。私たちは大人になって重量が加わることにより身軽さを失い落ち着きを得てしまった。考え方に子どものような柔軟さがなくなるのも身体的な制限に由来するのではないだろうか。子どもの心になるには子どもの体が必要だ。

高齢者も同様、キレよく関節を使えないので慎重に歩かざるを得ない。これはもう、どうしようもない。「早く歩いてよ」というイライラを押し付けることは不毛の極み。ゆくゆくは明日はわが身なのだから。駅に行く度に高齢者に共感を寄せる自分がいる。我らは今同じカテゴリに括られる人種だ。

一度太ってしまったら恐ろしいループに入ってしまう。でも世の中の大多数の人は時間をかけて気付かないうちにその2次関数ループに入っていく。私はその例外になりたい。全員そうだろうけど。出産後果たしてこの体は一体どう出るか?願わくば、脂肪吸引エステのごとく、新たな生命体にちうちうとどんどん吸い取ってもらいたい。

妊娠してから変わったことはほかにもある。初期からずっとあるのは頻尿。お腹の子に送る血液をつくるために水分が必要っていうのと、膀胱が子宮に圧迫されて出やすくなるっていうのがあって起こるらしい。ある程度お腹が膨らんできてから症状が起こってくるみたいだけど、私は妊娠が分かった頃の初期からなぜか頻繁におしっこに行きたくなっていた。おしっこを頻繁にしたくなるっていうのはけっこう大変だ。したくなるだけで実際はそこまで出なかったりもするので無駄な1回だったように思えたりもよくするし、第一、何回もトイレのための動作をするのが面倒だ。とくに冬。妊娠中というのもあり、冬は必ずズボンの下にタイツかレギンスを履いているうえ、腰痛を抑えるトコちゃんベルトというものを恥骨周りにつけているので、お尻周りが重装備になっていてゴソゴソしていて脱ぎにくい。ズボンを下ろし→タイツを下ろし→パンツに被さっている上の下着の裾をたくし上げ→ようやくパンツを脱ぐ、といった感じでいちいち何枚も剥ぐようにして脱ぐ作業をしなくちゃならないのがとても億劫だった。外出先でコートを着てるとより大変。脱いだあとは再び被服構造を元に戻さなければいけないので、その作業も再び一苦労。冬を抜けた今はちょっと楽になった。

ほかに、初期からめっきり変わったのは、毎回必ず夢を見る体質(脳質?)になったこと。産科医にそれを言ったら、「それは今回あなたが妊娠したことであなたが33年間生きてきた人生の経験なりが夢という形で何かを表しているのでしょう」というような答えが返ってきた。今から思えばけっこう親身になってくれた回答だと思う。私が思うに、妊娠中は眠りが浅くなりやすいのだと思う。初期は初期の具合の悪さがあり、中期以降はお腹の重みをいつも携えているという物理的な調子の悪さがあり、万全の体調で寝られるということがない。だからいつも眠りに不完全燃焼感が残る。夢を見やすい睡眠態勢にあるのだと思う。

初期の頃はとくに毎回嫌な夢を見るので起きるたびに疲弊、消耗していた。おそらく、精神的に不安が大きかったのだろう。というのも、妊娠が分かったとき、のちの夫が仕事で海外に行っており、戻って来るのが2週間以上先で、気持ちの面で頼れる存在が側にいなかったからだ。その間に彼にLINEで言ったので今でも覚えている悪夢が「なぜか私がキムタクになっていて、すごく便意があるのに興味本位から周りの人にその姿を覗かれていて、出したくても出せなくて苦しむ」というものだ。自分がキムタクになっているというのがまず謎だが(別にとくに好きだったわけでもないし、そこまで興味があるわけでもないから)、すごく出したいのに人に見られているために出てこない、というのがものすごく苦しかった。夢で感じる感情というのは、現実世界で感じているよりももっとダイレクトで鮮明だ。このときはめちゃくちゃ追い詰められた。本当に夢で良かった。今これを分析するとしたら、キムタクは置いといて、体の中にずっといる存在のためにままならなくなっている体調から今すぐ抜け出したい、早く出産してしまってすっきりしたい、という願望だったのかもしれない。素人考えではあるが。初期なので体調の悪さごと妊娠を受け入れる心構えができあがっておらず、とにかくこの体調から逃れたい、という短絡的な衝動があったのだろうか。

彼が帰って来てからは悪夢ではなくなった。とはいえ、幸せな夢でもない。奇妙で支離滅裂な夢ばかりで、悪夢ほどではないが気持ちの良いものでもない。たぶん快眠でないからだと思う。今日見たのは珍しく筋が通っている夢で、「通っている学校(場所は私が通っていた小学校だが、中身は通っていた中高、という設定)が突然、制服じゃなく私服で良くなり、自転車で通ってもOKになっていた。しかも入ってはいけないとされていた門から入るのもOKに。場面が移り、受けたテストの成績が2位でとても良かった」というような内容だった。この、制服や自転車や門などの制限を解除されたことによって一気に気持ちが解放され、「制限されて抑圧されている状態というのはものすごく精神的に不自由なことだったんだ」ということを夢の中でまざまざと感じていた。現実世界ではここまで自由不自由を感情的に実感することはないから、起きたとき、とても重要な体験をしたと思った。少し前は、「知り合いが隣の部屋に住んでいて、私がその人の部屋に勝手に私物を置いている。そのときも不在だと思い、勝手に上がり込んで私物を置いていたが、『もしや』と思って振り返ると、その人がいた。咄嗟に『ごめんなさい、ごめんなさい』と謝った」という夢を見た。私が私物を置いている一部始終をその人が見ていたことに気付いたときの背筋がビーンとなった感じと、すぐに「悪いことをした」と思う素直な態度が、なかなか現実では出てくる機会がないように思う。夢の中では私はとても感情的でいられる。

夢の内容は起きたときその都度夫に話している。結局その都度忘れていくのだが。そのとき湧き上がった気持ちをすぐ伝えられる相手がいるというのはとても安心できることだ。

妊娠する前、私は夜にランニングを始めた。というのは、当時タクシー運転手の仕事にチャレンジし始めたのだが(唐突だが本当。やりたいことがあって、その手段として思いついた。ペーパードライバーなのに合宿に行って二種免許を取ったうえ、東京の道を走るのに必須である地理試験もクリアした。)、その職場にいたタクシー運転手のおっちゃんたちの体を見て「あ、きっとタクシー運転手の生活を漫然と続けてたらこういう体になるんやな……」と悟ったからだ。お腹周りにでっぷりと円形のハリボテがついたような、脂肪肝が詰まってそうな体型のおっちゃんたちがワラワラといた。さすがにこうなるのはまずいという危機感から、毎夜近所の緑道まで自転車を走らせて、1時間ほど走る生活を開始した。この頃は、これまでとは違う景色の、新たな人生の季節へ転換していく兆しをそこはかとなく感じていたときだった。

けっこうストイックに2週間ほどランニングを続けたら、膝が痛くなってしまった。のちに夫となるスポーツマンの彼に聞いたところ、「しばらく走るのはやめた方がいい」とアドバイスされ、中断。しばらくしてまた再開したが、痛みがさらにひどくなってしまい、再度中断した。この痛みがなかなかやまず、お休み期間が長く続いてしまった。その間、風邪になったときがあり、風邪ついでに整形外科で診てもらったら「靴が良くない。底の分厚いスニーカーじゃないと関節を傷めるよ」と言われた。それで、近所の靴屋でランニングシューズを取り寄せ注文した。2度目に中断してから1か月ほど経っていた。

そして、ランニングシューズがまだ届かないうちに妊娠が判明した。産科医に「ランニングをしても大丈夫ですか?」と聞いたら「それはいつもしてることですか?」と尋ねられ、「いえ、最近始めたばかりです」と答えたら、「じゃあダメです。いつもしてることならいい。いつもしてない運動はしないこと」と言われた。自転車に乗るのもやめた方がいいらしい。東京の歩道はいきなり人が出てきたりしてアクシデントが多いからだ。タクシーの仕事も「よく休憩を取りながらやってください」と最初は言われたのだが、2回目のときには「車の運転は咄嗟の判断が必要で、緊張の連続にさらされる。それが母体に負担であるし、妊娠中は頭がボーッとしがちで集中力が低下するので事故に繋がる危険があり、あまりやらない方がいい」と言われた。このときから私はランニングも自転車に乗ることもしない生活に変えた。始めたばかりのタクシーの仕事も1か月後に辞める決断をした。

妊娠したら無茶な運動ができないのは想像できるにしても、自転車に乗れないとは知らなかった。車の運転もあまり良くないということも。要は「ヒヤリハット」が母体に良くないのだ。それでお腹の子がお腹に居続けられなくなったら、その母体の持ち主である私の責任だ。その自覚がちゃんと根付くまでに妊娠判明から約1か月かかった。妊娠体が平常の状態ではないということを、その体の持ち主である本人が受け入れるまでに1か月のタイムラグが生じた。毎日「何か辛いな…しんどいな…」と感じているのにも関わらず。タクシーを断念する前は、夫と一緒に住む物件をタクシー会社に通いやすい立地条件で探していたほどだった。脳みそというのはけっこう頑固にできている。

タクシーも辞め、引っ越しもし、入籍も式も終えたあとになって、あの膝を傷めた期間のことを不思議な気持ちで思い出した。「なんでかあのときずっと膝治らなかったな」と。そして、ハッと気付いた。「もしかして、あれが赤ちゃんを守ったんじゃ…?」膝の痛みがお腹の中の存在を無事に留めていたんじゃないか。命が発生したのは確かに走るのを休憩していたさなかだった。

この符号をただの偶然と思うには辻褄が合いすぎると私は感じる。神様が居るのかは知らないけど、神様的な、宇宙の何らかの計らいであるように感じている。大げさに聞こえるかもしれないけど、けっこうそういう風に人生はできているものだと感じる1つの出来事だった。